近山ニュース号外2008/12/19

2008年12月19日 近山スクール東京
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2008年4月19日 フィールドツアーin飯能


 遅くなりましたが、4月19日のフィールドツアーin飯能(ニュースNo17参照)での、深谷基弘先生の講演の概略を掲載します。

◆ 深谷基弘教授 棟梁の技術思想に学ぶ

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 深谷基弘教授が伝統工法にこだわりを持ち、どうして日本大学芸術学部デザイン学科で建築を教えるようになったのか。最近は木造が見直されて来たとは言え、木造の空白時代といわれる時代がかれこれ30年以上に及んだその時代に、伝統工法を大学で教えてこられたのはどうしてなのだろうか。そんな疑問を解き明かしてくれるお話を、以下にご紹介します。

深谷 基弘 日本大学芸術学部デザイン学科教授

◆ 設計哲学を考える全国行脚に
 建築を学んだ学生時代は、新しいものに惹かれ集合住宅などを設計しました。当時プリント合板などと言われ、木目をプリントした印刷物が表面に張り付けられ、あたかも木の板のように見える、いわゆる新素材が建築や設計のジャンルに忍び込んできました。そのうち町にあふれるようになり、これまで考えてきた建築とは違うと、疑問を持つようになりました。その後の設計活動が自分の設計哲学を考えるきっかけとなり、もう一度原点に戻って考えることにしました。さっそく当時車でスバル360という軽自動車を買い、日本の民家を見て回りました。そうして昔の街並みにふれるうちに、自分なりに昔の街並みの中に、日本の文化をつくってきた原型を再認識することができました。

◆「生闘学舎」と三宅島の棟梁
 日本の町から町を回っていくうち、三宅島で枕木6000本を使い学校を建てたという新聞記事を見ました。前から尊敬していた高須賀晋氏が設計したと書いてありました。新聞記事を頼りに、三宅島に行って見ました。 建物は生闘学舎と名付けてありました。この建物は1981年には、審査委員が「圧倒される作品」とのコメントがつけられ建築学会作品賞を受けました。その後、生闘学舎は、2000年8月の三宅島の噴火にあいます。島でも阿古銀座といわれ商店や民家の密集する部落が、火山の噴火であっという間に溶岩の中に消えていきました。すぐに駆け付けた時は、まだ煙が立ち上り雨が降ると蒸気がのぼるというありさまでました。その中で唯一生闘学舎だけは生き残ることができました。この中で自然の恐ろしさと同時に力強さとを見ることができました。
 生き残った生闘学舎は、全部枕木でつくられていました。つくったのは建築のことを全く知らない素人の人々が、自分たちの身銭をはたき、さらにボランティアの人々に支えられつくられた建物です。なぜ枕木でつくったのか。ちょうど当時は、列車を支えてずっと生きてきた枕木が木からコンクリートに替わる時でした。あっという間に枕木が取り払われ、駅舎の広場に無造作に置かれている状況があちらこちらに見られました。廃材だと思われている材料を、あらためて再生しようと考え、このプロジェクトは立ち上がりました。建築に立ちあがった素人の人達は、学生運動等に携った総括から枕木に自分たちの人生を重ね合わせ、あらためて自分たちが再生するんだという思いから、枕木でつくることを選んでいます。全国から6000本の枕木を集めてきました。当時の枕木はきわめて安価であり、西は滋賀県から東北の岩手あたりまで行ってトラックで竹芝桟橋に集めて、船で三宅島に運びました。
 枕木は1本60キロくらいあります。それを組積造の組み方から、日本の伝統的な工法が生闘学舎に生かされてきた事を知りました。一本一本枕木を加工していくということを毎日繰り返していきました。枕木と枕木の間にモルタルを詰めながら積めばいいと、設計者の指導に従い、その通りにしますがうまくゆかない。何回か繰り返して、とうとうギブアップしてしまいます。ずーっと一部始終を、近くに住んでいた棟梁が見守っていました。急に音がしなくなったのをいぶかしく思い、現場にやってきます。彼らから訳を聞き、「何も知らないからこそ、基本に忠実にものをつくらなければいけない」。枕木を横に積むためには、だぼ(注)という材料がある。水墨という水平基準になる墨を印してそこが寸分の狂いがない形で立ち上げないといけない。云われた通りにやると、枕木はスムーズに積み上がっていきました。水平、垂直がきちんと出ないと立ち上がらない、基礎となる水平を出すことが大事だと学びました。 「生闘学舎」をつくった人たちから、建設過程を聞くなかで彼らの考え方をおよそつかむことができました。話の中で彼らが師と仰ぐ棟梁の存在を知り、紹介してもらう労をお願いし、それをきっかけとして“棟梁に学ぶ家”を立ち上げることができたわけです。

注 だぼ(太枘)
「材の位置決めや緊結、ずれを防ぐために二つの材の接着面にそれぞれ穴をあけて打ち込む角材を云う。堅木など母材より堅い木が用いられる。がたが出ないように太枘穴は太枘より小さめにつくる。 渡り腮での仕口の補強や肘木の上で母屋をつなぐ場合また板を矧ぎ合わせたりする場合などに使われる。」

◆ 棟梁に学ぶ
 三宅島の棟梁から、指導を受けながら、一軒の家づくりに着手し基本設計にもとづいて、三人の協力者を仰いで進めましたが、自分の設計を形にするよりも、三宅島の伝統的な民家がだんだん消えていく現実を考え、三宅島の伝統的な民家をベースに新たな設計図を描き家づくりに取り組んで約1年半の月日を要しました。その家で人間の一生を包括するために冠婚葬祭すべてが家の空間の中で執り行われました。そうした歴史も明治になると形が崩れていきます。
 こうして三宅島に伝わる伝統的な民家をつくり、その建設過程において上棟式には、島の子供たちを招いて、餅にかわるものとして文房具の入った袋を投げたり、完成時には島の伝統的儀式にのっとり完成を祝いました。出来上がった家は建築学会にはじめは寄付をしましたが、今はNPO法人にして風の家として老人福祉施設として利用されています。

◆ 教えるとは学ぶこと
深谷先生のお話の様子  三宅島で家づくりを経験して大学にもどりました。この間大学は1年半休職して、一冊の教科書をつくりあげ、民家の次にお寺の経験をしました。ちょうどNHKのテレビで鎌倉時代の様式で放殿をつくることを聞き、新潟へ飛んでいきました。最初はまったく相手にしてくれませんでしたが、仕切っているのは西岡棟梁の弟子になる人でした。毎週金、土、日と東京から新潟へ通い、とうとう記録にまとめることができました。実際に槍鉋を初めて使い、昔の人は素晴らしい道具を作ったものだと実感したものでした。
 三宅島で民家をつくる前に5分の1の模型を作ります。その時棟梁は、大きくとも小さくともまったく同じであること。小さいからと手を抜いてもいけない。大きいからとびっくりすることもない。基本がきちんとできていれば、小屋であろうが大きい建物であろうが変わらない、と作業をしながら棟梁から教えられました。大隅流の棟梁の双曲線を描くねじ組の秘伝も教えてくれました。模型は教材として作りますから常に組立解体が可能です。「すみ木」図面上には出てこない厄介な部材です。図面上も出てこないし、断面図にも出しにくいという部材を、実際現場でどうするのか身をもって経験することができました。ここで指金という大工道具があることによって厄介な部材もいとも簡単にできることを教えられ、指金の素晴らしさを実感しました。
 三宅島の棟梁に始まり8人の棟梁から学んだことになりますが、教科書づくりに、あるいは学生に伝統建築を教えることにつながっています。

◆ 建築に対する4つの危機感
  1. 木造建築に対する危機感
    日本は桂離宮や法隆寺など世界に誇れる建築をつくってきたにもかかわらず、建築家は新しいものにのみ傾倒し建築雑誌をにぎわしている建物を見るにつけ、日本の木の文化はどこに反映されているのか疑問を持っていました。

  2. 設計者としての危機感
    自分の書いた図面が絵にかいた餅のように、現場に行ってもほとんど通用しないという現実を経験してきました。その経験、家づくりの実践が必要不可欠と考え現場に学ぶということにつながりました。

  3. つくり手の存在の危機感
    今の家づくりを考えると、確かに職人さんを育てるという家づくりではなく、ほとんど機械ですべてができてしまうことを考えると、ものをつくる人が育つ環境ではない。

  4. 建築教育者としての危機感
    建築を教える現場にいながら、建築というのは、いったいどうやって伝えたらいいのかを考えてきました。自分が大学で建築を勉強し、設計事務所に入り、実際自分の手でものを作ってみることが、何より大切であることを、充分実感しました。設計をし、実際の材料を自分の手で触れて、加工し、組み立てることを、原寸で、等身大で考える教育であってほしいと願っています。

◆ 8人の棟梁から学んだこと
 過去に出会った棟梁の生き方を考えてみますと、二つの生き方にわかれるのではないかと思います。
 私流の表現をすれば、シンフォニー派とジャズ派に分かれます。清水棟梁はジャズ派の典型だと思います。三宅島の棟梁も同じくジャズ派で、建築だけをつくるのでなく、人間を前提に丸ごとの生き方というかすべてをトータルにとらえてものをつくる。ジャズ派は臨機応変に即興演奏をするように、手にした材料をその場その場で、考えながら臨機応変にものをつくるという生き方。これに対して西岡棟梁・中村棟梁は、シンフォニー派の代表で、薬師寺とか法隆寺とか裏千家等のパトロンが仕事を提供し、その仕事をきちっとこなして素晴らしいものをつくる。シンフォニー交響曲をパトロンの要請に応じて素晴らしい音楽をつくるのと同じように。
 35年にわたって棟梁に学んで言えることは、日本の文化を改めて見直し、先人の築いてきた財産を次の世代にどう伝えたらいいのか。現代建築に生かされるケースもあるでしょう。昔の形をそのまま継承するという考え方もある。やはり日本の文化を意識して家づくりをしてほしいと思います。こういうことを日頃学生にメッセージをしています。

Midori Kitajima